配当金生活のやまださん

2018.2から不労所得生活。経営者→億り人→不労所得生活→労働者

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大人がコミュニティで責任を感じて精神病んでしまう理由

こんにちはヤメ王(@yame_oh)です。

人間少なからず小さなコミュニティに属していると思います。それは家族だったり、友達だったり、会社だったり、趣味仲間だったり、ゲームのギルドだったり、何かしら人と人は関わっていると思います。

そんな小さなコミュニティで精神を病まない為のお話です。

 

 

小さなコミュニティに付き纏う責任

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少なからず人と人が関われば仕事、約束、責任など小さな社会が生まれてしまいます。

コミュニティが小さければ小さいほどに1人にかかる責任は大きくなってしまいます。

役割分担がしにくいからですね。

大企業なんかは分業化が出来ているので1人1人の責任は小さくなり、1人が辞めようが明日も会社は続きますよね?

これが小さなコミュニティ家庭で考えてみてください。

お母さんが急にお母さんを辞めたらみんな困ってしまいますね?

そうなんです。

1人1人の責任が大きくなってしまうことが、小さなコミュニティではやりがいなんて言われていますが、そのせいで動けなくなったり、精神を壊してしまう人がいたりします。

休みたい時には休みたいんですよ。人間は。

なのに、コミュニティに縛られてどうしても休めない。

責任感がないと思われてしまうと、自然と自分に厳しくしてしまいます。

これを自己啓発本などでは

「越えられない壁はない」なんて言って人に無理をさせようとします。これを成長なんて呼んだりします。

都合がいいですね。

都合が悪くなると「大人なんだから!」といい、都合が良いと「成長するには童心が必要」とか言って、子供心なのか、大人心なのかどちらですか?となってしまいます。

そんな都合のいい言葉を並べて責任を取らせようとしてきます。

 

ここからは責任についてですが、責任てそんなに個人で悩むほどの事でしょうか?

 

複雑に考えすぎていないかな?と思ってしまいます。

 

人間一個人が取れる責任といったら、悪い事をした、迷惑をかけたのに対して

 

謝罪か賠償しか出来ないじゃないですか。

 

法を犯してしまった時は国が裁いてくれますが。

法を犯さない限り出来る事ってそれぐらいでもしくは次はしません。という約束と改善ぐらいじゃないですか。

 

それを複雑に考えすぎて、あいつが困ってる何かしてあげないと!とか、もっとこのコミュニティで活躍しなくては!とか、自分がちゃんとしなきゃとか、誰にも頼まれてないのにどんどん自分に責任の負荷をかけて、終いにはあいつを助けてやったのに感謝すらされないとかって精神病んでしまったり、こんなに頑張ってんのに周りが認めてくれないとか、1人で悲劇のヒロインを飾る必要は全くないと思っています。

 

 

と、経営者を辞めてから気付いてしまいました。

もっと経営者時代に人にも甘く、自分にも甘くしておけば良かったな〜なんて思ってます。

厳しくする必要も無かったな〜と後悔はしてないんですが、自分がもっと精神が健全にいられたと思うんですよね。

 

大人だからしっかりしなきゃ真面目にいなきゃとか子供をしっかり育てなきゃとかそんな細かい事に一々気を使っていたら、そりゃ精神疲れてしまいますよ。

 

やれる事はやる。

 

これで良いと思います。やらないことまで不得意な事まで責任感に追われてしまいやるから精神を壊してしまうんです。

もっと自分に甘く、人に甘えればいいだけなんです。

子供にだってダメな大人に部分見せたって反面教師でしっかりしたり、子は勝手に育つと思うんです。

あれもこれも自分のせいにしていても疲れるだけです。

もっと世の中全体で自分に甘い人が増えたら病む事も無くなると思うんです。

もっと自分に甘くしましょう!