配当金生活のやまださん

2018.2から不労所得生活。経営者→億り人→不労所得生活→労働者

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労働と不労との精神状態

こんにちは。

今回精神的な事ですが、労働するようになった今と不労所得の時とでは精神がどう変わったのかお話ししたいと思います。

 

不労所得生活のとき

この時は精神にバラ付きがありました。最初の頃は楽しむぞ〜!と意気込んでいたものの、すぐに飽きてきてしまいました。それどころか「働きたくない!」という気持ちというか、不労所得生活という誰もが羨むような生活送ってんだぞ!という謎の自負と謎のプライドが出てしまい中々働くという選択肢は見えてこなかったです。それどころか働いたら負けのような感覚すらありました。

どうせ働くなら自分の好きなことをして、稼ぎたい!キラキラ起業家のような、ユーチューバーのような好きなことで生きていく!ということしか頭にありませんでした。

ただ好きなことは見つかることはありませんでした。

無趣味と飽きっぽい性格で、これといって人生においてこれが無いとダメなものや、休みの日はこれしないとヤダとか無いタイプでしたので、無限にある時間の中で探すといっても、無いものは探しようがありませんでした。

好きな事がないのに無理して探して言い聞かせてもまぁ嘘の塊なので儲からない限りは続ける事も困難になってくるわけです。

働かなくても金はあり生活に困ることも無いので何もしないになってしまいます。ただ第二子が生まれたばかりでギリギリ自分の存在価値を家庭内で保ってました。妻にはありがたかったと今でも感謝されますし、おかげで子供達もパパじゃないとヤダという事を言ってくれたりします。懐いてもらえて子供達の妻への負担は軽減されていたと思います。

ただ子供の幼稚園に行っている間や、第二子と妻が子育てサロンやママ友と遊びに行くなどしている時に家でゴロンゴロンしてるのは暇でいいですが、暇を超えて退屈で、平日の真昼間に暇している友人も少なくだんだんと退屈との戦いになってきました。

最初らへんこそはAmazonプライムビデオやらで色んな映画やドラマやアニメを見まくってはいたものの、それすら飽きてしまいました。

ここらへんで、好きなことでなくとも、嫌な事以外で1回働いてみようと思いました。

どんな労働でも良くて、人的ストレスが少なくて、出勤を強制されない自分で決めれるものなら何でも良かったです。

 

働き出してからの精神状態

最初に言うとめちゃくちゃ強気な精神状態に慣れました。どちらにも依存しすぎないという状況です。

不労所得の減配があろうが、働けばいいし。となり、もし、仕事をクビになろうが、生きていけるし。となりました。

更に外に出ることにより、社会に貢献していると自己承認欲求を埋めれました。

仕事なんて何でもいいんですね。ただ肌感で他人の為になっている、社会貢献しているという自己満足が大事だと思います。

ボランティアではなくしっかりと報酬を受け取れることによって自分がこれだけ働いたんだぞ!という数字によっての満足感も得られます。

更にはお金ってこんなに簡単に稼げるんだ?という感覚でした。

責任というものが無いからです。無いという訳ではなく凄い軽い。

業務委託なので、ゆる〜い自己責任と会社のせいとで上手くストレスと付き合えています。

たまに、友人から

「なんで自分で事業起こさないの?経験あるからやればいいじゃん!」

と言われるんですが、全くやる気になれません。経営者ってめちゃくちゃ精神にくるんですね。人を雇うってめちゃストレスです。

言いたい事も言えない時もあったり、責任の重さなども全然違う。

こんなに精神が楽な状態でお小遣いには充分過ぎるほど稼げるならもうやらないですね。

 

結界として

・労働し出したら精神が安定した

・不労所得や労働の依存度が軽減される

・自己承認や自己満足度が上がった

・無理して好きなことを見つけなくてもよくなった

・事業と責任から解放される

・仕事中でも自分の時間が出来た

・精神が安定して生きやすくなった。

 

て感じです。