配当金生活のやまださん

2018.2から不労所得生活。経営者→億り人→不労所得生活→労働者

MENU

仕事の出来ない人の劣等感は半端じゃない。のくせにプライドが高いから面倒臭い

仕事出来ない人って自分では気付かない。

けど、出来ない事を実はコンプレックスに感じてたりするんじゃないかな?

 

 

 

どこかで抱いている

f:id:ty0513:20170705094803p:image

取引先への対応でも大きく出てしまい、強気になってしまう。

本当に迷惑で感極まりない。 

 仕事出来ないというのは、言われた事が出来ないとかいう類ではない。

特に功績を残した訳でもなく、辞めた人などの空席に出世という形で収まってしまった人達。

実力社会ならそんな事は起きないはずなのに、年功序列やら人手不足で名前ばかりの役職名でのし上がってしまった人。

ただ会社に長くいるだけの人。

そんな人は偉そうに振る舞おうにも、どこかで自分が仕事を出来ない事、他人に言えるような功績を残してない事などにコンプレックスを感じてしまっているのかもしれない。

「仕事出来ない」という言葉を凄く嫌う。

真面目にやってきたのと、仕事が出来るのは全くもって別物である事に気付いてさえいない。

真面目にやらなくても、結果を残してしまう容量のいい人は世の中に腐るほどいる。

結果を残してしまうような人に心のどこかで憧れてはいるが、自分には違う道があると言い訳をして結果真面目に働くという今まで通りの働き方しか出来ないという矛盾に生じる。

勝利、結果、功績などの蜜ほどに甘い思いを一度もしたことさえないので若者など出る杭に妬いてしまう。

会社内、会社関連、全てにおいて害でしかない。

仕事は出来ないが今まで真面目にやってきた事だけが取り柄なので、自分が常に正しいと勘違いをし、柔らかい考え方などからは程遠い昔ながらの人になってしまう。

それは頑固というものではなく、盲目になってしまう。

 

当然のごとく、そんな人になってしまうから全然周りには人がいない。

勿論自分に何かしらの非があるのでは?と考えてはみるが周りのせいにする方が楽なのでそうしてしまう。

気が付くと毎日顔を合わせるような会社内の人にすら見向きもされないようになり、煙たがれる。

だが、自分は真面目にやってきた!

と自分で褒めてあげるしか出来ない。

周りが認める事など関係ないのだ。

残念な人になっていることさえ、周りにすら教えて貰えない状況になってしまう。

いつまでそんな働き方で生きていくのか?

もっと頭を柔らかくして、上手く生きていかないと苦しいのは自分なのに。

 だが、気付かずにまた今日も昨日と同じ事を繰り返す。

周りには気付かせてくれる人もいなければ、注意してくれる人もいない。

長年こう生きてきたんだ!という確かな自身に満ち溢れているから。

お前の人生だけが、みんなの人生ではない。と簡単な事にも気付かずに強要してしまう。

まさに現代に残る害。

誰かが気付かせてあげないといけないと思う。